若手奨励賞
日本物理学会では、将来の物理学をになう優秀な若手研究者の研究を奨励し、 日本物理学会をより活性化するために若手奨励賞を設けています。Young Scientist Award
The Physical Society of Japan has established the Young Scientist Award to encourage outstanding young researchers who will lead the future of physics and to further invigorate the Society.- About the Young Scientist Award of the Physical Society of Japan (Physical Society of Japan webpage)
- Internal Regulations for the Young Scientist Award of the Physical Society of Japan (Division 11)
- Call for Candidates for the Young Scientist Award of the Physical Society of Japan (Division 11)
第21回日本物理学会若手奨励賞受賞者(領域11)
受賞者の発表
2026年6月の会告にしたがって,第21回日本物理学会若手奨励賞(領域11)の募集を行い,同年7月14日に締切りました.若手奨励賞領域11内規にしたがって設置された領域11の審査委員会による厳正な審査の結果,応募者の中から下記の3名の候補者が選考され,同年10月の物理学会理事会で受賞者として承認されました.ここでその受賞を祝福するとともに,領域11関係者に公示いたします.なお,対象論文などの情報については,物理学会の若手奨励賞のWebサイトをご覧ください.
| 受賞者 | 受賞題目 |
|---|---|
| 小林 海翔(東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻) | 計算する量子多体系の理論研究 |
| 中西 優馬(東京大学 大学院理学系研究科 物理学専攻) | 開放量子多体系におけるパリティ・時間反転対称性に由来する時間結晶と非平衡相転移の理論研究 |
| 吉村 耕平(理化学研究所 開拓研究所) | 熱力学的トレードオフ関係の普遍性に関する理論的研究 |
審査経過報告
領域11の第21回若手奨励賞には、2026年7月14日の締切までに、昨年度の倍の10名の応募がありました。すべて自薦でした。これらの自薦応募者について厳正な審査を行い、3名への授賞を決定しました。審査は、領域代表が指名した9名の審査委員によって行われました。これらの審査委員は、領域11が対象とする広範な分野をカバーするため、異なる専門を持つ研究者から選出されました。私、羽田野直道が審査委員長を務め、審査の取りまとめを行いました。
審査は以下のように進められました。例年、応募者や共同研究者、過去の指導教員など、関わりが深い審査委員を「関係者」とし、審査委員長の求めに応じて参考情報を述べる以外は、その候補の審査には加わらないようにしていますが、今年度はそのような「関係者」は審査委員の中にはおらず、審査委員9名全員で全応募者の審査に臨みました。
審査は二段階で行いました。まず一次審査では、各応募者について審査委員長が選んだ3名の審査委員が応募書類を審査し、業績の独創性や応募者の貢献度を勘案して絶対評価による採点を行い、査読レポートを作成しました。次に二次審査は、審査員全員によるオンライン会議で行われました。一次審査の採点結果と査読レポートに基づきながら、応募者に関する担当審査員の意見も考慮して審議しました。その上で採点結果を再検討し、最終的に全審査員の合意により受賞者を決定しました。
絶対評価による採点結果は全体的に高く、審査は難しいものでした。今回、惜しくも選に漏れた7名も決して低い評価ではありませんでした。領域11の将来が頼もしくなる審査だったと言えます。
受賞理由
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小林 海翔:計算する量子多体系の理論研究
Theoretical exploration of quantum many-body systems as computational entities小林海翔氏の応募には三種類の成果が含まれています。まず、量子リザバーコンピューティング(QRC)における射影測定の反作用という実装上の本質的困難に対し、測定結果を量子系へ還元することで測定前の状態を逐一復元する「フィードバック駆動型QRC」を提案しました。QRCでは量子系からの情報の読み出しに測定が不可欠である一方、射影測定による状態の破壊が過去の入力の記憶を消去してしまうという困難があり、繰り返し初期化は時間計算量を増大させ、弱測定はヒルベルト空間からの情報抽出を制限するという二律背反が存在しました。小林氏は、測定結果そのものを入力として系へ還元するという明快な発想によってこの二律背反を回避し、全量子ビットの射影測定を許しながらフェーディングメモリー性を回復させました。
次に、古典リザバー計算における「カオスの縁」という経験則を量子多体系へ拡張し、高性能QRCの普遍的な設計指針として「量子カオスの縁」を確立しました。古典リザバー計算の経験則である「カオスの縁」を量子多体系へどう翻訳するかは自明ではなく、従来のQRC研究の多くはモデルごとの高性能条件の個別探索に留まっていました。小林氏はSachdev–Ye–Kitaevモデル上に実装したQRCを用い、ランダム行列理論的な振る舞いが顕在化し始めるThouless時間で定まる時間的な境界の縁と、可積分系から量子カオス系への転移を支配するパラメータ領域の縁の双方の近傍で、QRC性能が顕著に向上することを示しました。二つの縁の定義がいずれも普遍的性質に立脚しているため、特定のモデルに依存しない設計指針となり得る点が本質的な貢献です。
第三に、QRCの情報処理性能そのものを量子多体系の診断量として用いる「量子リザバー・プロービング(QRP)」を構築し、局所量子クエンチが誘起する非平衡ダイナミクスから平衡系の量子相転移を検出できることを示しました。量子相転移の精密な同定は平衡系では理論的にも実験的にも難しく、従来の動的検出法は系全体を励起する大域的クエンチに頼っていました。小林氏は局所クエンチという弱い摂動でも相転移が検出可能であることを示しました。クエンチ後のダイナミクスに含まれる「局所操作の効果」と「系固有のダイナミクス」のうち、前者のみをQRPの枠組みで抽出するという着想であり、情報処理性能を物理量の診断に用いるという発想の転換に基づいています。
以上の業績はいずれもQRCに対して統一的な理解と同時に実用性についても考慮されており、優れた内容です。受賞も多く、日本物理学会では領域11と領域1の学生優秀発表賞を受賞しています。以上のことから、小林海翔氏を領域11の若手奨励賞にふさわしいと判断しました。
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中西 優馬:開放量子多体系におけるパリティ・時間反転対称性に由来する時間結晶と非平衡相転移の理論研究
Theoretical study of time crystals and nonequilibrium phase transitions originating from parity-time symmetry in open quantum many-body systems中西優馬氏の応募には3本の論文が含まれています。この一連の業績の中で、中西氏は散逸のある開放量子系において、時間結晶が存在する相と消失する相の間に動的転移があること、そしてそれがPT対称性(損失と利得の対称性)の破れによる転移であることを厳密に示しました。
時間結晶とは、時間方向の並進対称性の破れです。これは単純な場合には起こらないことがわかっていますが、散逸がある開放量子系などでは起こることがわかってきており、理論的にも実験的にも研究が進められています。
中西氏はまず、Gorini-Kossakowski-Sudarshan-Lindblad (GKSL)方程式と呼ばれる散逸のある開放量子系の量子マスター方程式において、PT対称性を厳密に定義しました。PT対称性は元々はハミルトニアンに対して提案されたものであり、開放量子系のGKSL演算子に対する定義は自明ではありませんでした。そして、そのようなPT対称性のある量子マスター方程式のGKSL演算子の固有値分布を解析しました。ハミルトニアンに対するPT対称性の議論では、PT対称性を持つ非エルミート・ハミルトニアンにおいて、固有状態についてもPT対称性が保たれているPT対称な相と、固有状態についてPT対称性が破れているPT非対称相の間に相転移があり、両者の間では固有値も固有状態も同じになってハミルトニアンが対角化できなくなる「例外点」が存在します。中西氏はPT対称なGKSL演算子の固有値分布を解析し、PT対称な相では純虚数固有値が存在する一方で、PT非対称相では実固有値しか存在しないことを示しました。(実数と虚数が役割を変えているのは演算子の定義の虚数単位の違いです。)
通常のGKSL演算子においては、安定状態に対応するゼロ固有値以外の固有値は実部が負の実数または複素数であり、そのため無限時間極限で安定状態に収束します。それに対して中西氏は、PT対称相においては複素共役な純虚数固有値のペアがが存在し、それによって時間方向に振動が起こることを示しました。さらに、PT対称性の破れる転移とともに純虚数固有値は原点での「例外点」を経て、すべて非正の実数となり、時間結晶が消えることを、例外点周りでの安定解析によって示しました。
中西氏は、一般的な議論と複数の具体的なモデルに対する解析を組み合わせて、以上の結論を厳密に導いた点が高く評価できます。統計物理学においては厳密な結果は、数値計算や実験の検証にも用いることができるため、とても強い力を持っています。以上のことから、中西優馬氏を領域11の若手奨励賞にふさわしいと判断しました。
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吉村 耕平:熱力学的トレードオフ関係の普遍性に関する理論的研究
Theoretical studies on the universality of thermodynamic trade-off relations吉村耕平氏の応募には3本の論文が含まれており、いずれも熱力学的トレードオフ関係に関する成果です。熱力学的トレードオフ関係とは、量子力学における不確定性関係と似た形で熱力学量のゆらぎと散逸の間に成り立つ熱力学的不確定性関係(TUR)や、熱力学的変化が効率などによる下限を持つ(例えば、パワーと熱効率が競合関係にある)という熱力学的速度限界(TSL)を指します。これらは熱揺らぎが支配する古典系では確立されていましたが、決定論的な系や開放量子系では明らかではありませんでした。吉村氏はこれらの系で厳密に不等式を証明し、熱力学的トレードオフ関係が普遍的に成り立つことを示しました。
まず、決定論的な化学反応ネットワーク(CRN)に対し、熱力学的トレードオフ関係を初めて定式化しました。メゾスコピックCRNとマクロなレート方程式の対応から導かれる「スケールされた拡散係数」を同定するという着想から、開放的かつ非理想的なCRNという一般的な設定で、エントロピー生成率と濃度変化の速さ・ゆらぎとの間のトレードオフ関係を証明しました。「化学反応系の非平衡熱力学」を進展させた先駆的な成果であり、Physical Review Letters誌においてEditors’ Suggestionに選出されています。
次に、情報幾何学的な観点からエントロピー生成を二乗ノルムで表し、過剰エントロピー生成と維持エントロピー生成に分解する先行研究を、離散状態空間上の一般の非線形ダイナミクスに一般化し、最適輸送に基づくTSLの改良とTURの精密化を行いました。これは多安定性・リミットサイクル・カオスを示す系にも適用できる普遍的なものであり、吉村氏が上述のように示した熱力学的トレードオフ関係の普遍性の物理的理由を明らかにする成果です。Phys. Rev. Research誌で2023年に最もダウンロードされた論文の1つに選出されており、世界的に高い評価を受けていることがわかります。
最後に、TURを開放量子系に拡張しました。量子系においては異なる時刻の物理量が非可換なため、ゆらぎの定義自体が困難であり、従来はfull counting statisticsによる定式化などが主流でした。吉村氏は、古典的な結合確率分布を自然な形で量子系に一般化する擬確率を用いてこの困難を回避し、一般のオブザーバブルに対する不等式を導きました。さらに、古典的限界を超えるためには擬確率の負値性か非古典的に増大したescape rateが必要であるという必要条件を示し、それが基底依存でなく、かつコヒーレンスの存在よりも強い条件であることも示しました。
吉村氏はTURを様々な系に対して明らかにすることによって、それが広く普遍的に成立することを示しました。統計物理学において巨視的な系における普遍性は中心的な概念であり、吉村氏の成果はその点から高く評価できます。以上のことから、吉村耕平氏を領域11の若手奨励賞にふさわしいと判断しました。
受賞記念講演
2027年春季大会(オンライン)において領域11の若手奨励賞受賞記念講演が開催される予定です.
日本物理学会 領域11